10代から20代の頃、私はカナダの北極圏や西海岸の島々へと旅にばかり出ていた時期がありました。その頃はずっと旅人として生きていこうと思っていました。しかし、人生は分からないものです。その後ヒーリングの世界へと舵を切ることになり、今に至っています。

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岩間を満たす海水を時々蹴り上げながら、浜から森のトレイルに入った。どんなに太陽の照りつけるときでも、大きな樹々の懐へもぐり込めば、彼らの吐き出す大気に包まれるようで、気持ちが落ち着いた。
湿地のそばを通ると、ハート型の若い緑の葉っぱが群生している。
「水で湿らせて、傷口にはると効くんだ」
ジミーが教えてくれた薬草だった。
一緒に森を歩いていたとき、この葉を見つけたジミーは地面の上に静かにひざまずいた。そして、葉の表面を指でそっと何度もなでながら、聞き取れないほどの小さな声で何かを呟いていた。それから、彼は五枚ほど葉をつんだ。
「薬草をいただく前に必ず祈るんだ。摘ませてもらう許可をもらい、この薬草を必要としている人をどうか治して下さい、とね。もちろん薬草を使うときも、治療をしてもらう人間もともに祈る。祈ること。そして信じなくちゃ、どんな薬だって効きっこないのさ」
葉っぱを前に祈るジミーの表情がとても印象的だった。
陽気で、冗談ばかりを連発してガハガハ笑う、いつもの彼はそこにはいなかった。ジミーもジョンも、極北に住む大好きな友人たちも、彼らはいつもどこかもう一つの世界を見ていた。
そのことに気がついてはいても、私にはまだ同じ世界は見えなかった。
『ウィ・ラ・モラ オオカミ犬ウルフィーとの旅路』より
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癒しに関わる時には祈ることが大切なのだということを直接的に、日常の何気ない暮らしの中で教えてくれたのは先住民の友人たちでした。当時はその大切さを心の奥や肌身で感じながらも、私自身はまだそうした感覚を自分のものとして生きてはいませんでした。でも今思えば、それらの経験は、ハートの中に蒔かれた種のようなもので、その後様々な学びや経験を積み重ねていく中で、小さな種はゆっくりと成長してきたようです。
ヒーリングの仕事に携わるようになった今は、祈ることの大切さを実感しています。
そして、セッションの時に、クライアントの方の中にも祈りの思いを感じることは多々あります。
それは特定の宗教や信仰を持っているか、祈りの言葉を唱えるかどうかではなく、むしろ内的な状態と言っていいのかもしれません。見えない力に対して素直に心が開かれていること、変化のために真摯に向き合う姿勢のようなものだと思います。
癒しの力は見えない世界からもたらされます。共に祈ることは、力の通り道となる植物や治療者、ヒーラーの中と、受け取り手であるクライアントの中に、その力を受け取るための器を用意することなのでしょう。
10年以上前に語りかけてくれた友人の言葉を久しぶりに反芻しながら、私も祈ることの意味と価値を再確認し、これからは一層、祈ることを大事にしていきたいと思いました。
(2018年5月14日)