10代から20代の頃、私はカナダ北極圏の自然が大好きで、旅にばかり出ていた時期がありました。何ヶ月もの野外生活、先住民の友人たちとの原野での暮らしに明け暮れている中で、人はなぜ、どのようにして治るのか、また癒されるのかということを考え始めたのは、20代前半のころでした。その問いかけがより一層私の中で深まるきっかけをくれたのは、北極圏の村に住むマイケルという一人の友人でした。
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『マイケルのこと』
マイケルに初めて会ったのは、カナダ極北の冬がすでにマッケンジーの大河も湖も凍らせ、あらゆるものを純白の雪で覆いつくしてしまった11月だった。2000年のことである。
私はその年の6月から、カナダ、ノースウエスト準州に位置するマッケンジー流域に滞在し、先住民の老夫婦と一緒に森や村で暮らしていた。そして、11月から春までの間はマイケルの両親の元にやっかいになることになっていたのだ。
マッケンジー河の上流にあるフォート・シンプソンの町の小さな空港に降り立ち、ゲートをくぐり抜けて建物に入ると、日本人と同じような顔立ちをした中肉中背の人々の中で、頭一つ分飛び出た長身の男性がいた。村の知人との会話を中断した彼は、私に気がついて片手をあげた。
迎えに来てくれていたマイケルの元に走りよって、私は自己紹介をした。
長髪を両肩に垂らし、鼻の下に髭を生やした浅黒い顔立ちの中で、真ん丸に輝く瞳が悪戯っ子の少年のようだった。
彼の両手には、甲の部分に花柄のビーズ刺繍が美しく施され、ムースの革とビーバーの毛皮で作られた伝統的なミトンがはめられていた。
「マイケル・ケイゾンだ。よろしく」
手袋を脱ぐなり、差し出された彼の右手は、指が数本、第一関節の上から失われており、皮膚の表面はただれて引きつれたまま固まっていた。一瞬ドキリとした気持ちを表情に出さないよう、私はさりげないそぶりで握手をかわした。
トラックの荷台に私のザックとラフカイを積みこみ、町外れの空港からマイケルの両親の家に向かった。真っ暗闇の中、道路脇の街灯だけが白銀にポツリポツリと明かりを落としていた。
マイケルは、今自分が中心となって取り組んでいる伝統的なドラム音楽のグループのことや、つい先日行われた北米先住民会議の集まりに招待されて、アラスカに行ってきたことを運転しながら熱心に話してくれた。
指の損傷の訳を私が知るのは、彼と親しくなってしばらくしてからのことだった。
「もう何年も前に、住んでいた建物が火事にあったんだ。これはその時に残った火傷跡なんだ」
てっきり凍傷だとばかり思い込んでいた私には、思いがけない話だった。
そして、その傷は肉体的なものであると同時に、彼がかつて抱えていた心の傷でもあったことが、彼の口から淡々と語られていった。
マイケルはその火事で、当時同棲していたガールフレンドと彼女の子どもを亡くした。彼だけが、燃えさかる炎の中からかろうじて救出されたものの、彼自身もまた全身火傷で重症を負ったのだ。多くの先住民の村で、多くの人々がそうであったように、マイケルもアルコールやドラッグにどっぷりとつかりきっていた時期だった。そして、火事の一件で大切な人を失い失意の底に陥ったマイケルは、ますますアルコールに依存していくのである。
皮膚の移植手術を受け、入院して治療を受けていた彼の症状はなかなか回復に向かわなかった。火傷とアルコール中毒で限界までボロボロになった時、傷の炎症や痛みをおさえるために一生薬を飲み続ける必要があるという医者の言葉を両親に告げながら、マイケルは涙を流したという。両親のゲイブとメアリーが何も言わずに、マイケルが育った森の暮らしに彼を連れ帰ったのは、それからすぐのことだった。
メアリーは森の中で薬草を摘み、煎じ薬を作ると、マイケルに飲ませ、毎日欠かさず傷口のすべてを薬草の液で丁寧に洗い続けた。そういった暮らしの中で、傷んだ彼の体も心もゆっくりとバランスを取り戻し、手ばなせないと言われていたはずの薬さえいつの間にか必要なくなっていた。
その後マイケルは、カウンセリングを受けに行った先で、後に奥さんとなる女性と出会う。彼女の精神的な支えを受けて立ち直ったマイケルは、自分自身の中に何かを取り戻すかのように、ドラムを手に取ってひとり叩き始めたのだ。当時村には他にドラムを演奏する人もなく、それどころかマイケルを非難したり嫌がらせをしたりする者すらあったという。けれども、それに屈することなくドラムを続けるマイケルに共感する仲間が、一人、二人と増えていった。
私が村を訪れた年には、ドラムグループは年代もさまざまな男性10人以上のメンバーが集まり、村のイベントやセレモニーの場で、カリブーの革で作られたドラムを叩き、歌声を響かせていた。
マイケルの手の傷に秘められているのは、周辺の人々をも巻き込んで変わっていった彼の歴史なのだった。そして彼の姿と手の傷は、私の中にも、治癒をもたらす本質的な力とは何なのだろう?という深い問いを静かに植えつけたような気がする。40代半ばになる彼には、立ち直りの時期から支え続けた絵描きの奥さんとまだ幼いふたりの娘がいて、語られなければ知るどころか、過去の彼を今の姿から想像することすら難しかった。
『ウィ・ラ・モラ オオカミ犬ウルフィーとの旅路』より
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彼と過ごした日々は、過去にどんなことがあったとしても、人は変われるのだという確信を私に与えてくれました。そして、時に試練のように思える過酷な出来事は、実は魂への呼びかけであり、そこには見えない神の手がそっと差し伸べられているのではないかと思うようになりました。もちろん人間誰だって、辛い出来事や経験は避けたいものです。なるべく痛みがなくて済むなら、それに越したことありません。それでも、この世界では病気や突発的な事故さえも、偶然たまたま起きることはなく、時に魂は痛みを伴う経験を通過せざるを得ないこともあるのだと思います。
マイケルの心身をゆっくりと時間をかけて、深く癒していったのは、両親やパートナーの愛と献身、極北の森や植物の力、神(彼らが創造主と呼ぶもの)の力だったのだろうと今は思います。そして、何より彼の内奥に変わろうとする意思があったからこそ、すべての要素が助けになって、彼の肉体も心も、魂までもが癒されたのでしょう。
彼が心身の健康を取り戻した時に、手に取ったのはドラムでした。マイケルは、ドラムを叩いて歌うことは、彼にとっての祈りであり、創造主との交流の時間なんだよと度々言っていました。魂が癒され、それが神の手によるものだと感じられる時、人は自然に自己の内側に神とのつながりを再び見いだすのだろうと思います。文化背景や宗教や信仰が違っても、大いなる力をどのような言葉で呼んだとしても。その源はひとつで、それは魂の内に常にあり、私たちを導き続けている光なのだと思います。
(2018年6月16日)